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10月23日

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ダニール・トリフォノフというロシア出身の若手ピアニスト(23歳)のコンサートに行ってきました。

いつもながらベートヴェンのピアノソナタ32番がプログラムに含まれていたからで、私はこのピアニストについて何も知りませんでした。

 

いや〜凄かったです。私が今までコンサートで聴いてきたピアニストの中でも1・2を争うテクニシャンでした。

少なくとも速弾きにおいては正確無比で疲れ知らず。しかもゆったりしたパートでは詩情豊かに弾き、速弾きパートとのコントラストの効果が絶妙。

23歳という“若さ”が強みになっていました。

(たいていの若いテク二シャンのピアニストは速弾きばかりが先行し、下品になりがちですが、彼は速弾きを擁しても品の高い音楽性を失いませんでした。)

 

さて32番ですが、第1楽章は今まで聴いたことのない速度の速弾きを混ぜ合わせ、

ベートヴェン独特の音の塊が迫るパートの迫力と、単音の旋律部の詩情豊かな表現の対比が見事な凝縮感を生みだし、素晴らしい演奏でした。

演奏は速く弾ければいいというモノではありませんが、速く弾くことで怒涛の音の塊の迫力を生み出すことが出来、

音の少ないパートの繊細な響きとの対比が際立ちます。ベートヴェンの楽曲では、このことは特に演奏の重要なポイントのひとつではないでしょうか?

続いて第2楽章 アリエッタ。

一転して非常にゆっくりとしたテンポで19分コースかと思いました。(結果的には後半が早めで17分くらいの演奏だったかと)

しかし、単調になりがちな前半変奏部分の繰り返しを表情豊かに飽きさせることなく魅力的に弾いてくれ、続く中盤の海底を沈行するような部分から

次第に細やかなキラキラした高音部が立ち上がってくる様子もドラマチックで良かったです。

ただ終盤のクライマックスを迎えるポイントでは、全体の構成よりも近いパートとの短いスパンでの対比が顕著になり、テンポもやや速すぎで、

後半でやや雑然とした曲の印象になってしまったのが少し残念で、悪く言えば若さを露呈した感はありました。

 

しかしあの第1楽章が聴けただけでも「いいものを聴かせてもらった」と感じました。

私はひそかに「もしピアニストになれていたらなぁ」と思うことがある(幼稚園の時にヤマハ音楽教室に通っていました)のですが、

トリフォノフのピアノを聴いていた時、思わず「いや〜ピアニストになれなくて良かった」と思ってしまいました。

あんな怪物の演奏を聴いたら(中途半端なピアニストは)辞めたくなるに違いありません・・・。

 

***

 

その二日前にも、もうひとつベートヴェンのピアノソナタ32番のコンサートに行きました。

ピアニストは植田克己。東京藝大の教授だそうですが、こちらも私は全く知りませんでした。

東京芸大内の奏楽堂で行われた「ベートヴェンのソナタ」という全4回シリーズの最終回で、演奏家はすべて現在の東京藝大の先生たちでした。

私は植田克己氏の演奏を初めて聴きましたが、好感のもてる演奏でした。

過剰な演出のない誠実な演奏で、一歩間違えれば退屈な演奏になりかねない危険水域でありながら、弱音部でも緊張感を保ち、

最後まで魅力的に聴衆を惹きつけていました。

うまくいえませんが、32番では、音が少ないパートや弱音部で腰砕けになる演奏が少なくないなかで、植田克己氏の演奏では

独特のキラキラした音の張りのようなものが(どんなに音が小さくなっても)残っていて、例えて言うなら繊細なガラス細工のような

細くて透明ながらしっかりした何かがあって、聴かせてくれる感じがしました。

 

とはいうものの、二日後、トリフォノフの演奏を聴いてしまうと、その演奏技術の自由闊達さと、楽譜をただ弾くだけでは音楽を演奏する意味がない、と

言わんばかりの独特の味付けのある音楽を聴いてしまうと、日本の音楽教育の型の存在を感じずにはいられませんでした。

 

料理に例えるなら、植木克己氏の演奏はレシピに忠実に調理をし、そのかわり下ごしらえや火の通し方などがこだわりぬかれて完壁な演奏で、

一方、トリフォノフの演奏はレシピを元にしつつも自分流にアレンジできるところはアレンジして自分好みの味を追及している質の高い演奏。

どちらにもそれぞれの良さがありましたが、職人気質な日本と、創造性を育むことを最終目的とするロシアの音楽教育との

違いは明らかだと思いました。